楽しい愚痴り方と、辛くなる愚痴り方

色々な職場を経験してると、どの職場にも問題点は何かしらあると自然と理解するようになる。ただ頭でわかっていても、目の前で理不尽なことがまかり通ったり、明らかに非効率なやり方を強要されたり、意味不明な業務命令がなされると、やっぱり人間、イラッとしたり、上司の無能を嘆きたくもなる。

仲良くしてる同僚がいるのだけど、仮にAとしよう。Aはとてもコミュニケーション能力の高い人で、いわゆる「誰とでも友達になれるタイプ」だ。Aとは在籍年数も近く、お昼を一緒に食べたり夜飲みに行ったりするような仲だ。

特に仲良くなったきっかけは、実は「愚痴」だった。ふとしたきっかけで職場の愚痴をこぼし合うことがあり、それがあまりに共感出来すぎて、異様に盛り上がったのだ。その日、会社の理不尽さについての嘆きは頂点まで達したけれど、それは「ネタ」として話されており、絶え間なく大爆笑で呼吸困難に陥るほどだった。あんなに楽しく愚痴を言いあえたのは、正直、社会人人生初めてだったかもしれない。

それ以後、Aとは度々愚痴をこぼしあう仲になったのだが、とにかくふとした愚痴が全て面白いのだ。全てがネタ化していて、愚痴る度に笑えるのだ。愚痴ってこんなに楽しかったっけ?

別の日、後輩に「森さんちょっとお茶して帰りませんか?」と誘われた。仮にBとしよう。相談がある的なニュアンスだったので、サビ残も(「サビ残も」)そこそこに後輩Bと共にそそくさと帰宅した。そこでは仕事の相談と進路の話だったのだけど、99.99%が愚痴だった。だけど、その愚痴の一部は共感出来るものの…早く帰りたかった。Bのいうことも分かる。Bの考えるBの進路も応援してあげたい。それなりに私も応援の言葉を述べたりした。ただ、Bの愚痴がとんでもなくつまらない。あれ?やっぱり愚痴って鬱陶しいものだったっけ?

同じ愚痴でもAの愚痴が面白いのは、「共感」出来て、「会話」が成り立っていて、且つ「ユーモア」が含まれていたからかもしれない。コミュニケーションとして成り立っていた。Bの愚痴は「共感」はそこそこ出来るものの、Bのコミュニケーションスタンスはひたすら「喋り続ける」で、喋る:聞く=9:1くらい。会話のキャッチボールが成り立たず、愚痴を本気で怒って言ってくるので(もちろん私について怒ってるのではなく、仕事や上司のことなのだけど)、「ユーモア」はもちろん含まれないし、はっきり言って、聞いてるこっちも疲れる。職場で私だって同じような被害にあってるはずなのに、なぜか私が怒られてるような心労すら。。。。

愚痴であっても、コミュニケーションとして成り立ってたらなんだかんだ面白いモンなのかもしれない。一方的に聞かされる負の感情は、しんどい…。愚痴はネタにした方が、言う方も聞く方も健康に良い気がするし、笑い飛ばせる元気がある内は、自虐ネタでもなんでも、笑ってしまったもん勝ちだと思う。