キャリアは必ずしも計画的である必要はない〜プランド・ハプンスタンス(計画された偶発性)

キャリア形成に関して、planned happenstance(プランドハプンスタンス=計画された偶発性)」という理論がある。これは、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方(wiki)」だ。私はこの考え方が好きだ。

私は元々バリキャリ志向で、「現代社会で活躍するキャリアウーマン」のいかにも的な偶像に憧れていた。新卒時にご縁のあった会社では、そこそこ長く勤めて社会的にもそこそこ評価されるポジションとキャリアを築いていくイメージも持っていた。だけど、これは全ての環境が新卒時のまま変わらないという前提にたっていたことに後で気付いた。結局は、自分の未来のイメージが全く湧かなくなって、「そこそこ長く勤める」どころか…といった期間で最初の会社を辞めた。正直、想定外な期間だったと思う。

でも、それによって、キャリアは「お終い」になっただろうか?むしろ、想定外の事が起こったのは、私の生き方が軌道修正されるために必要なものだったような気がする(バリキャリ志向でもなくなった笑)。

というのも、私はそれまで自分の中に軸にあんまり強い意識が無かった。いや、あったのはあったけれど、それを押し通すほどの自信とか強さがなかった。だから、はっきり言って相当ミスマッチな仕事をしてたと思う。ただ、想定外に早く辞めたことで、もう一度長い目で自分の道を見直す機会が出来た。そして、自分の価値観を改めて棚卸しして、それを元に次の道を選ぶことが出来た。

ツイッターで長くフォローしてくれてる人は知ってる人も多いだろうけど、今は新卒の頃とは全く違う分野で全く違う仕事をしてる。ここで悩んだり苦しんだりしてることもある(かなりある)けれど、それでも、昔とはまた違った種類の悩みだし、一番最初に夢見た方向には、前よりは遥かに近づいている気がする。

起こることは、起こるべくして起こる。それはキャリアの崩れとか歪みではなく、自分らしい生き方をするための、1つの機会なんだと捉えた方が幸せだと思う。

だから、私は、キャリアは必ずしも計画的である必要は無いし、必ずしも計画通りに進まなくてもいいと思う(計画通りに出来る人の方が遥かに少ない)。遠くに登りたい山頂があって、そこを目指して右から左から、たまに急流にかかる吊り橋を渡り、渓谷を避けて遠回りし、それでもなんとかその山頂に近づいていけばいいのだと思う。

案外、途中で見つけた山腹の草原が、最高に心地よかったりするかもしれない。心地よく生きることがゴールなら、山頂ではなく山腹がゴールにだってなり得る。